Osamu Tezuka Film Works
本編152分+特典20分
GNBA-3036 ¥3,990(税込)
2007年1月25日発売
© 手塚プロダクション
1928(昭和3)年 | 11月3日大阪府豊中市で生まれる。 |
1933(昭和8)年 | 兵庫県川辺郡小浜村(現宝塚市)に引っ越す。 |
1935(昭和10)年 | 大阪府立池田師範附属小学校に入学。(現大阪教育大学付属池田小学校) |
1937(昭和14)年 | 昆虫採取に夢中になる。平山修次郎著「原色千種昆虫図譜」を見て「オサムシ」という虫を知り、本名の治に虫をつけて“手塚治虫”というペンネームにする。(オサムと読ませるようになったのは昭和25年頃から) |
1941(昭和16)年 | 大阪府立北野中学校(現北野高校)入学。 |
1945(昭和20)年 | 大阪大学付属医学専門部入学。 |
1946(昭和21)年 | デビュー作の4コママンガ「マァチャンの日記帳」の連載が「少国民新聞(後の毎日小学生新聞)関西版」で始まる。 |
1947(昭和22)年 | 酒井七馬原作の長編マンガ「新宝島」刊行。版を重ね40万部を売る。 |
1948(昭和23)年 | 「ロストワールド」刊行。 |
1950(昭和25)年 | 島田啓三氏を中心に、馬場のぼる、太田じろう、古沢日出夫氏らで東京児童漫画会(通称・児漫長屋)が結成され、入会する。偶然に学童社を訪問して加藤謙一氏と出会い、「ジャングル大帝」を「漫画少年」に連載開始。 |
1951(昭和26)年 | 「アトム大使」を「少年」に連載、翌年から、脇役にすぎなかったアトムが主人公になって「鉄腕アトム」として長期連載されることになる。大阪大学卒業。 |
1952(昭和27)年 | 仕事場を東京に移し、新宿四谷に下宿する。 |
1953(昭和28)年 | 都内豊島区椎名町のトキワ荘に引っ越す。「リボンの騎士」を「少女クラブ」に連載開始。 |
1954(昭和29)年 | 都内豊島区雑司が谷の並木ハウスへ引っ越す。 |
1958(昭和33)年 | 「びいこちゃん」「漫画生物学」で第3回小学館漫画賞受賞。 |
1959(昭和34)年 | 岡田悦子と結婚、都内渋谷区代々木初台に新居を構える。 |
1960(昭和35)年 | 都内練馬区富士見台に家を新築。 |
1961(昭和36)年 | 医学博士の学位を取る。手塚治虫プロダクション動画部設立。(翌年12月、株式会社虫プロダクションとして正式に発足) |
1963(昭和38)年 | 国産初のテレビアニメーションシリーズ「鉄腕アトム」をフジテレビで放送開始、高視聴率を上げる。「ある街角の物語」で、芸術祭奨励賞、毎日映画コンクール大藤信郎賞、ブルーリボン教育文化映画賞受賞。 |
1964(昭和39)年 | ニューヨーク世界博に行き、ウォルト・ディズニーに最初で最後の邂逅。 |
1965(昭和40)年 | 「鉄腕アトム」で、厚生大臣より表彰を受ける。 |
1966(昭和41)年 | 国産初のカラーテレビアニメーションシリーズ「ジャングル大帝」で、テレビ記者会賞特別賞受賞。虫プロ商事が発足し、雑誌「COM」が創刊され、「火の鳥」が連載開始。 |
1967(昭和42)年 | 「展覧会の絵」で、芸術祭奨励賞、毎日映画コンクール大藤信郎賞、ブルーリボン教育文化映画賞受賞、アジア映画特別部門賞受賞。劇場版「ジャングル大帝」で、ベネチア映画祭さんマルコ銀獅子賞受賞。「鉄腕アトム」ほか諸作品で放送批評懇談会ギャラクシー賞受賞。「新・ジャングル大帝 進め!レオ」で、日本テレフィルム技術賞受賞。 |
1968(昭和43)年 | 漫画製作のための株式会社手塚プロダクションを設立。 |
1970(昭和45)年 | 「火の鳥」で講談社出版文化賞(児童まんが部門)受賞。 |
1974(昭和49)年 | 都内杉並区下井草に引っ越す。 |
1975(昭和50)年 | 「ブッダ」「動物つれづれ草」で、文春漫画賞受賞。「ブラック・ジャック」で日本漫画家協会特別賞受賞。 |
1977(昭和52)年 | 「三つ目がとおる」「ブラック・ジャック」で、講談社漫画賞受賞。講談社より「手塚治虫漫画全集」全300巻刊行開始。「漫画の描き方」を光文社より、初のエッセイ集「手塚治虫ランド」を大和書房よりそれぞれ刊行。 |
1979(昭和54)年 | 児童漫画の開拓と業績により、巌谷小波文芸賞受賞。 |
1980(昭和55)年 | 長編アニメーション「火の鳥2772」東宝系劇場で公開。同作品でラスベガス映画祭動画部門賞。国際交流基金のマンガ大使として、国連本部、全米の大学で、現代日本のマンガ文化について講演。都下東久留米市へ引っ越す。 |
1984(昭和59)年 | 「陽だまりの樹」で小学館漫画賞(青年・一般向け部門)受賞。実験アニメーション「ジャンピング」でザグレブ国際アニメーション映画祭グランプリ、およびユネスコ賞受賞。講談社「手塚治虫漫画全集」300巻完結。 |
1985(昭和60)年 | 漫画家生活40年、手塚治虫漫画全集完結により、講談社漫画賞特別賞受賞。実験アニメーション「おんぼろフィルム」で第1回広島国際アニメーション映画祭グランプリ、バルナ国際アニメーション映画祭カテゴリー部門最優秀賞受賞。「ジャンピング」で、バリャドリド国際アニメーション映画祭銀穂賞受賞。永年に亘るアニメーション映画製作の功労により、第1回東京国際映画祭テラ・ピナアニメフェスティバルにて表彰される。東京都栄誉賞受賞。 |
1986(昭和61)年 | 「アドルフに告ぐ」で講談社漫画賞(一般部門)受賞。 |
1987(昭和62)年 | エッセイ集「観たり撮ったり映したり」でキネマ旬報愛読者賞受賞。 |
1988(昭和63)年 | 戦後漫画とアニメ界における創造的な業績による朝日賞受賞。 |
1989(平成元)年 | 2月9日、胃ガンのため没(享年60歳) |
1997(平成9)年 | 朝日新聞社主催 手塚治虫文化賞 創設。 |
概要 |
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集1「ある街角の物語」 (00:39:08)
配信中 街角に貼られたポスターと、クマのぬいぐるみを友達にしている女の子、さらに街灯やその光に誘われる一匹のイタズラな蛾。そんなひとつの街角に存在する生物、無生物のそれぞれのドラマを交錯させながら、そのすべてが戦火に巻き込まれて悲劇的なクライマックスを迎える、という「ストーリー」ではなく「感情」をこそ語るプライベート・アニメーションです。大手企業のための作品でフラストレーションのたまっていた手塚治虫が、自分の作りたいアニメを自分で確認するために作った、ひとつのエチュードといえるでしょう。壁に貼られたポスターにさえ、生き生きとしたドラマを演じさせる。それがアニメーションというものの魔法だと、この作品は改めて教えてくれます。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集1「おす」
(00:03:10)
配信中 手塚治虫が個人資産を投入して作ったアニメーション・スタジオ『虫プロ』。その第一回作品発表会に『鉄腕アトム』の第一話とともに上映された作品。発表会の日取りに合わせて急遽制作されたこの短編は、手塚治虫版の『吾輩は猫である』といった趣の物語になっています。夏目漱石の名作では、猫がご主人の平凡な日常をみつめていましたが、こちらの猫がみつめるのは、愛する女を殺して警察の到着を待っている男、という思いっきりの異常事態。猫と死んだ女と絶望した男、という登場人物は、そのまま「アニメは決して子供のためだけのものではない」という宣言にもなっているようです。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集1「めもりい」 (00:05:41)
配信中 思い出の不思議、記憶の曖昧さ、そして現実を美化してくれる思い出というものの功罪などを描きながら、やがては人類破滅の末に地球そのものが宇宙の思い出となってしまう、というふうに展開するプライベート短編アニメです。わずか五分の上映時間ですが、だからこそイメージがどんどん飛躍してゆくアニメ本来の魅力が光ります。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集1「人魚」
(00:08:20)
配信中 イマジネーション、空想する力。それこそが空を飛べない人間に与えられたすばらしい翼なのだと、手塚治虫はこの作品を通して語りかけています。その上で人間本来が持つその翼が、管理教育によって奪われてしまうことの悲劇性を告発するのです。この作品が制作された頃から、日本でも「受験戦争」が問題視されるようになり、子供たちの個性を削り取って、平均化してしまう教育が蔓延するようになっていました。手塚治虫はそういう社会のあり方にたいしてアニメーションという表現で「それは違うのじゃないか」と問題提起しているのです。空想を禁じられている架空の国が舞台です。ひとりの少年が助けた魚が、人魚に変身してしまったから、さぁ大変!
これはよからぬ空想の産物だとして少年は逮捕され、強制的に空想する力を奪い取られてゆく。管理社会の怖さと、そこからの脱出を描く物語は、たとえばテリー・ギリアム監督のSF映画『ブラジル』にも通じるテーマです。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集2「しずく」 (00:04:20)
配信中 漂流中の男がいかだのマストに三滴のしずくを発見します。男は何としてでもこのしずくでのどの渇きを潤そうと頑張るのですが、しずくのほうは中々、男の口の中へは落ちてきてくれません。さながら『トムとジェリー』の追いかけっこを見ているかのようなシンプル・ギャグ・アニメです。わずか1週間で手塚治虫自身が背景画まで自分で描いて自主製作したものです。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集2「展覧会の絵」 (00:33:00)
配信中 クラシックの名曲に合わせてオムニバス・アニメが展開されて行く手塚治虫版の『ファンタジア』といった趣の作品です。ムソルグスキーの『展覧会の絵』組曲から受けたインスピレーションをもとに10のエピソードが展開されて行きます。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集2「創世記」 (00:04:03)
配信中 ジョン・ヒューストン監督によるハリウッド大作『天地創造』をまったく動かない紙芝居風の絵でパロディ化した短編です。あの巨額の費用をかけた超大作を、まったく金をかけずに茶化してやろうという、アニメーターたちのお遊びで作られたような作品ですが、1枚1枚の絵はとてもクォリティの高い仕上がりとなっています。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集2「ジャンピング」 (00:06:24)
配信中 一人の少年がスキップしながら通りを歩いているうちにどんどんジャンプが大きくなって町を越え、森を飛び越え、海を越えて、どんどん、高く高く、遠くへ遠くへジャンプして行くことになり、ついには戦争中の国へ--。
ひとりの少年のジャンプがそのまま人類の行く末を見直す神のジャンプとなって行くところが面白い作品です。
全編ワンカット、動画枚数4000枚という驚きに世界が目を丸くして数々の賞に輝きました。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集3「おんぼろフィルム」 (00:05:44)
配信中 かつて「ダドリー・ドゥ・ライト」というアメリカのアニメが定番シーンにしていたのが線路にロープで縛られた女王が寝かされていて「助けてー!」と叫んでいる場面。これはもともとサイレント喜劇時代の連続活劇で使われたイメージです。さて、この短編は同じ状況の美女を救おうとする西部のヒーローが悪漢を倒して、美女のもとへ駆けつけて行くというお話しです。ところがこの古典的シーンは、さすがに古典だけあっていまやフィルムがボロボロ、キズがついていたり、コマが乱れたりゴミで汚れていたり、ヒーローは悪漢と戦うだけではなく、まず自分を映しているフィルムそのものを相手に悪戦苦闘しなきゃならなくなるのです。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集3「プッシュ」 (00:04:17)
配信中 広島国際アニメーション・フェスティバルに出品されるはずだった『森の伝説』の完成が遅れ、フェスティバルに間に合わせるために慌てて製作されたのがこの作品です。何でも自動販売機で買える便利な世界。そこを旅する主人公は身の周りのものをすべて自動販売機で調達しながら、造物主に会いに行きます。彼が地球を買いなおそうとして、しかし造物主から「地球の新品はない」と首を振られる、というシンプルな物語が展開します。シンプルだからこそ、ここに込められた手塚治虫の絶望の深さが逆に浮かび上がってくる。そんな仕掛けの4分18秒です。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集3「村正」
(00:08:44)
配信中 切り絵作家として有名な百鬼丸は、その名からもわかる通り、手塚治虫の熱狂的なファンなのだそうで、この短編アニメには他の仕事の依頼を全部、断って参加しました。わら人形にささっていた妖剣、村正。それを手にした武士は、その切れ味を試そうとわら人形を見かけるたびに、次々に斬りつけて行きます。しかし切られると同時にわら人形は人間の姿に変わって行くのです。そんな物語を通して、核の均衡の上で保たれている現代の平和に対する警鐘を鳴らしている、これはそういう作品です。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集3「森の伝説」 (00:29:30)
配信中 チャイコフスキーの『交響楽第4番』(『ある森の伝説』)からイメージを想起された四つのエピソードを完成させるべく、手塚治虫が十数年に渡って構想を暖めていた作品ですが、最終的に完成したのは第1楽章の部分と第4楽章の部分だけとなりました。本来は四つのエピソードを通して、ディズニー以前のアニメからディズニーを経て、ディズニー以後のテレビが主流となったアニメへと至るアニメーションの歴史そのものを振り返る、という形の作品になるはずでした。第一楽章はライオンブックスに発表されたマンガ『モモンガのムサ』のアニメ化という形になりました。これはアニメの草創期に見られた、動いていない絵を編集の工夫で動いているように感じさせる、という手法が用いられています。第四楽章はテレビ風のリミテッド・アニメで描かれた森の破壊者たちがディズニー風のフル・アニメで描かれた森の妖精たちを追い散らして行く、という物語です。この演出を通して手塚治虫はテレビに駆逐されて行く豊かなアニメ芸術の森、を描いています。
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![]() (C)手塚プロダクション 手塚治虫実験アニメーション作品集3「自画像」 (00:00:15)
配信中 手塚治虫の最後の実験アニメです。自分の顔を題材に世界5ヶ国19人のアニメ作家が競作し、各国のアニメーション・フェスティバルで上映しました。手塚治虫が作ったのは、自分の顔がスロットマシーンと仮して、どんどん別の顔に変化して行く、というものです。
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