神 戸 新 聞
2.オサムシ(掲載日:2002/01/03)
虫から学んだ命の尊さ
 
 昭和の初め、畑や雑木林が広がる宝塚の御殿山周辺は、チョウが舞い、甲虫がはい回る虫の宝庫だった。捕虫網を手に野山を駆け巡る小柄な少年の目にある日、一匹の昆虫が飛び込んできた。

 オサムシの一種のマイマイカブリ。ひょろりと伸びた首に眼鏡をかけたような真ん丸な目。

 「ぼくにそっくりや」

 既に漫画を描いていた少年の頭に、打ってつけのペンネームがひらめいた。本名の「治」に止まった虫の一字。宝塚の地で「手塚治虫」が誕生した瞬間だった。

 

 かつて遊園地にあった「宝塚昆虫館」の学芸員、福貴正三(87)は、毎日のように訪ねてきた半ズボンの少年をよく覚えている。

 「『これ何ですか』と、捕まえた昆虫を得意げに持ってくるんです。二人で図鑑を繰りながら調べたり、色鮮やかな外国産の虫に見入ったり」と回想する。「読んでみて、とノートに描いた漫画を持ってくることもありました」

福貴さんが御殿山などで採集したマイカイカブリ。幼い手塚も夢中でその姿を追った=宝塚市売布1
 中学生になると手塚の昆虫熱はさらに高じ、昆虫研究会をつくり、雑誌も発行した。手塚治虫記念館に展示している「とても少年の手になるとは思えない」美しい昆虫図は、福貴がもらったものだ。

 弟の浩が記憶する興味深いエピソードがある。小学六年のころ、手塚は昆虫館で開かれた標本コンクールに出品した。たくさんのチョウを並べた特製の昆虫箱。「絶対、一等賞になる」との意気込みに反し、結果は二等賞。学術的な種別でなく、色彩と大小のレイアウトを重視して並べていたためだったという。

 「ジャングル大帝」や「火の鳥」など、多くの漫画にちりばめられた虫の姿。手塚漫画を読んで育ち、「ファーブル昆虫記」の翻訳や虫に関する著書も多い奥本大三郎・埼玉大教授(仏文学)は指摘する。「彼の天才は、少年時代に虫から学んだ色と形に由来する。ディズニーの影響は、一つのきっかけにすぎない」

 

 終戦後、大学生の手塚は久しぶりに御殿山へ昆虫採集に出掛けた。標本にするためチョウの胸をつぶそうとしたとき、ふと指が止まった。多くの人々が炎に包まれた空襲の悲惨な光景がよみがえった。「殺さないで」。そう訴えているように思えた。

 突然、戦争という大きな力で奪われた命。理不尽なものへの憤り。「生命の尊さ」は、後の手塚漫画を貫くテーマとなった。

 「小さな命の大切さ、懸命に生きる美しさを、虫が教えてくれた」

 少年期、宝塚で出合った虫たちは、手塚の生涯の伴りょだった。

 
(文中敬称略)

 
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