(掲載日:2002/02/27)
1.アトムの時代50年後見つめた物語

 二〇〇三年四月七日。「科学省精密機械局」で一体のロボットが生まれる。同省長官の天馬博士が思わず叫ぶ。「せ、成功じゃ。やったぞ」

 「鉄腕アトム」誕生のシーンだ。

 もちろん、マンガの中での話―。だが、「その日」が近づくにつれ、現実の世界でもアトムの名が語られ始めた。

 各国の注目を集める日本のロボット技術者たちが「アトムにあこがれた」と言う。子どもの理科離れに、教育者が「アトムがいれば」と嘆く。来年にはテレビアニメも復活する。

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 「鉄腕アトム」の前身、「アトム大使」は一九五一年に連載が始まった。作者の手塚治虫はまだ東京に移る前。故郷の宝塚に住んでいた。

 アトムは翌五二年から十六年間続いた。六三年には日本初のテレビアニメになった。人気は絶大だった。

 「ほかにもマンガはあったけどアトムは別格。一体感が持てた。ぼくらの日常と地続きの未来が描かれていたから」

 マンガ評論家の村上知彦(50)=宝塚市=は振り返る。

 そう。アトムには現実感があった。「五十年後は本当にこうなるかも」と思えた。

 子どもだけではない。

 時代は高度成長期。社会は「心やさしい科学の子」に輝かしい未来の夢を重ねた。「十万馬力の正義の味方」の勝利を疑わなかった。

 だが、手塚はそんな世評を喜ばなかった。「誤解されている」。もどかしげだった。

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 手塚はアトムで何を語ろうとしたのか―。

 村上が指摘する。

 「科学の暴走。異文化の対立。差別と弾圧。物語は幾通りにも読める。そして最も重要なのは、アトムが親に捨てられたという事実」

 天馬博士は、事故で失った息子の代わりにアトムを作った。が、やがて「人間のように成長しない」と虐待し、ほうり出す。身勝手な人間たち。ロボットの悲しみ。優しいお茶の水博士に引き取られた後も、アトムは何度も悩み、立ち止まる。

 理想のロボット・アトムは「人間」を映し出す鏡だった。

 手塚は言った。「相いれない機械と人間。アトムはその仲介役なのだ」と。

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 手塚治虫は、子どもたちを「未来人」と呼んだ。アトムに限らない。七百もの作品は二十一世紀を生きる人々、つまり私たちへ向けた物語でもある。混とんとした時代。あらためてそのメッセージを読み解いてみたい。(敬称略)

手塚治虫のメッセージTOP 1 

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