(掲載日:2002/05/20)
1.新座スタジオ苦悩、焦り、創作の執念

 「描かなくなったら、忘れられてしまう」

 それが、“マンガの神様”の口癖だった。

 還暦を前にしても、締め切り間際は一日一時間の仮眠でペンを握り続けた。コンビニのおにぎりや好物の板チョコで胃袋を満たし、疲れてくると傍らの布団に寝そべり、原稿に向かった。

 「アイデアはいっぱいあるんだ」。スランプに陥ったとき、手塚治虫は何度も周囲に漏らした。若手の活躍には「悔しい。負けたくない」と嫉妬(しつと)と敵がい心をむき出しにし、仕事への執着をいっそう募らせた。

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 「時々ふらっとのぞいてみたくなるんです」

 手塚の最後の仕事部屋となった埼玉県新座市のスタジオを訪れた妻の悦子(70)が思いをめぐらせた。「ここは戦場。とても話し掛けられる雰囲気じゃなかった。記憶に残っているのは、ドアのすき間から見えた主人の後ろ姿だけです」

 予定外の外出や来客でペースが乱れ、筆が止まると、「おれのせいじゃないんだ」と、よく悦子にいら立ちをぶつけた。連載を投げ出し、家族と九州へ「逃避行」を決行したこともあった。

 晩年、家族との時間を大切にするため、都心から離れた場所に自宅を構え、そこに近いこのスタジオを「緑が気に入った」と選んだという。窓越しの雑木林に、幼少年期をすごした宝塚・御殿山の風景が重なった。

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 旅先のホテルや飛行機の中、手術前の病室…。あらゆる場所を創作の場に、七百タイトルもの漫画と「鉄腕アトム」などのアニメを生んだ手塚治虫。そのすさまじい仕事ぶりの陰で、ときに挫折し、立ち止まり、それでもペンを走らせた“神様”の素顔を追った。(敬称略)

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