(掲載日:2002/03/01)
3.戦争の真実「正義」が引き裂く友情

 昭和初期の神戸。アドルフという名の二人の少年がいた。一人はドイツ総領事館に勤めるナチス高官の、もう一人は元町でパン屋を開くユダヤ人の息子。二人は親友だった。だが、やがて時代が友情に暗い影を落とし始める。

 手塚治虫が「自らの戦時体験の記録」と語った大作「アドルフに告ぐ」は、全編が不穏な空気に満ちている。舞台は第二次世界大戦前夜の神戸とドイツ。「正義」と称して侵略や民族・思想の弾圧が公然と行われた時代。

 作品にはもう一人のアドルフが登場する。アドルフ・ヒトラー。ナチス・ドイツを率いた独裁者。その出生の秘密を軸に、物語はスリリングに展開する。そして浮かび上がる一つの問い。正義とはいったい何なのか―。

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 戦争体験は、手塚の創作の大きなベースだった。

 大阪空襲のときに見た黒焦げになった死体の山。「歌劇の町(宝塚)に花を咲かせる」と書かれた米軍の爆撃予告ビラに感じた恐怖。終戦後、占領軍の米兵に訳も分からず殴り飛ばされた屈辱…。

 近未来の核戦争や異星文明間の衝突を描いたSFにも、体験は色濃く反映される。

 「手塚が描いた『異なる価値観の共存は可能か』というテーマは平和の根本命題。残念ながら、私たちはまだ答えを見つけられていない」

 昨年、手塚作品を題材に企画展を開いた立命館大国際平和ミュージアム館長、安斎育郎教授(61)は、米同時多発テロ後の世界を重ねる。

 テロ掃討を掲げる米国と対抗するテロリスト。それぞれの正義の下で失われる命。

 「『正義』は立場によって異なる相対的価値観。その衝突を克服できるのは、生きる権利や自由、平等といった普遍的価値しかない」

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 終戦から三十年後、二人のアドルフは中東の地で再会する。片やナチス残党のパレスチナ解放ゲリラ、片やイスラエル軍中尉として。銃を構え、ののしり合う二人。最後の引き金が引かれる―。

 「アドルフに告ぐ」の終章近くのシーンだ。憎しみに変わった友情。ナチスに父親を殺された少年が銃を取り、殺す側に回る現実。ここに救いはない。しかし、それが戦争の真実ではないのか。

 国家が振りかざす「正義」が、人々の運命を狂わせる。手塚の問いは、今もなお重い。
(敬称略)

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