(掲載日:2002/03/08)
8.歴史観「敗者」の思い語り継ぐ

 時は幕末。下級武士・伊武谷万二郎は、真っすぐな気性を幕閣に見いだされ、米使節の警護役を命じられる。攘夷(じょうい)派と開国派が対立する激動の世。権力闘争にほんろうされながらも、あくまで腐敗した幕府の再建を目指し、彰義隊とともに官軍に抵抗する―。

 手塚治虫晩年の作品「陽だまりの樹」。架空の人物・万二郎と、手塚の曾祖父(そうそふ)にあたる蘭方医・手塚良仙を軸に物語は展開する。

 西郷隆盛や坂本竜馬、勝海舟ら幕末の英雄も登場するが、彼らは決して主人公にはならない。大地震に見舞われ、浪人の無法に憤り、コレラの流行と闘い、混乱の中を懸命に生きる無名の人々の視点から歴史は描かれている。

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 手塚は一九七〇年代から近代史に題材を取った作品を意欲的に発表する。戊辰戦争で追われた旧幕臣が北海道でアイヌ民族と共生する「シュマリ」、国家改造を唱え、「二・二六事件」に連座して死刑となった北一輝の苦悩を取り上げた「一輝まんだら」…。いずれも主人公は教科書的な歴史の「敗者」である。

 「手塚さんは負けていく者の力をはっきり見ていた」。「敗者の精神史」などの著作で近代史の書き換えを進めている文化人類学者の山口昌男札幌大学長(70)は言う。敗者には、富国強兵の流れに乗らない、別の生き方があった。「勝ち組」が追求しなかった可能性とドラマがあった。「彼は敗者の強じんな物語性を、意識して漫画に取り入れていた」

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 万二郎は立てこもった上野の山で砲弾を浴びる。遺品の片そでを母親に持参し、「敵に回したが惜しみても余りある人物」と述懐する西郷に、良仙は痛烈な言葉を投げかける。「あんたは勝てば官軍だ」「歴史にも書かれねえで死んでったりっぱな人間がゴマンといるんだ」

 一九四五年三月、大阪。爆撃機の下で逃げ惑う十六歳の手塚は、何千人もの人が傷つき、死んでいくのを目に焼き付けた。倒れた人の思いを語り継ぎたい―。その気持ちが、手塚の歴史観を形作っているのではないだろうか。

 客観的に正しい、唯一の歴史などない。書かれた歴史の背後では、無名の人々がそれぞれの物語をつむいでいる。手塚は彼らの声に耳を傾け、語り部として作品の中でよみがえらせた。

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 「手塚治虫のメッセージ・予言編」では、広く、深い作品世界に託された思いを読み解いた。科学、戦争、自然…。何を描いても、テーマは一つだと手塚は言った。それは「生命」。没後十三年。二十一世紀を生きる私たちに向けた物語は、今も輝いている。(敬称略)
=おわり=

 この連載は、小西博美、松本創、大原篤也、宮本万里子、田中真治、国森康弘が担当しました。

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