(掲載日:2002/05/23)
4.宝塚歌劇 至福の相思相愛

 インタビュー記事を「描く」ために訪れた宝塚歌劇の楽屋。そこには、華やかな舞台衣装をまとったタカラジェンヌがずらり。「ウ…イヒ…」。顔を真っ赤にして、でれっとした表情で卒倒する学生服姿の手塚―。

 青春時代の思い出をつづった自伝的漫画「がちゃぼい一代記」の一シーンには、うれしげな、そして誇らしげな高揚感がにじみ出ている。

 幼いころから熱心な歌劇ファンだった手塚は、大阪大医学部の学生だった一時期、歌劇の機関誌「宝塚グラフ」「歌劇」に、舞台を取材した漫画などを描いていた。異例の抜擢(てき)だった。

 「君といつまでも」などを手掛けた作詞家の岩谷時子は当時、歌劇出版部の編集部員だった。「面白い、才能のある人がいると評判になってて、こちらからお願いしたんです」。少年時代を「(歌劇に)ほとんど中毒状態だった」と述懐する手塚にとって、至福の瞬間だったに違いない。

 歌劇のチケットは早朝から並ばないと手に入らない時代。その人気ぶりを、一つの座席に母親、娘、孫の三代が重なって座って観劇するユーモラスな絵で表現するなど、噂(うわさ)にたがわぬ才能は出版部でも高く評価された。

 岩谷が「おとなしいぼっちゃん」と評したその学生は数年後、東京に引っ越し、超人的な創作活動に没頭していく。宝塚歌劇は、手塚が故郷でペンを走らせた、最後の仕事場だった。
(敬称略)

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