(掲載日:2002/05/24)
5.虫プロダクション 開拓者の夢と挫折

 「大変な事業を始める。成功してもしなくても、ひどい窮乏生活になるが、我慢してくれ」

 アニメーション制作の「虫プロダクション」を立ち上げる時、手塚治虫は妻の悦子に言った。一九六一年のことだ。

 一年半後、「鉄腕アトム」の放映が始まった。国産アニメ初の本格テレビシリーズを、手塚は一本五十五万円という安値で放送局に売り込んだ。実際の制作費の四分の一にも満たない。だが、他に先を越されたくないという思いと、アニメへの情熱が勝った。

 細かい動きは抑えて動画の枚数を減らし、似た絵は使い回した。それでも毎週二十五分、二千枚もの絵を一コマずつ撮影したフィルムを作るのは常識外れの作業だった。

 徹夜続きで倒れるスタッフが出た。衝突もあった。手塚は雑誌連載の合間に原画を描き、シナリオに手を入れ、編集に立ち会った。「われわれは開拓者だ」。その思いだけが支えだった。

 「予定は当然遅れる。それでも先生は妥協しなかった」。東京・練馬に今も残るスタジオ。現・虫プロ社長の伊藤叡(58)が振り返る。

 しかし、夢を追った全力疾走の日々は突然終わる。七三年、倒産。妻に予言した“窮乏”が現実になった。虫プロは別会社となり、手塚は数年間、アニメから遠ざかる。

 「少しでも良いものをと苦闘した当時の熱気がここに刻まれている」

 「アトム」を生んだ古い撮影機を見上げ、伊藤が言った。(敬称略)

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