(掲載日:2002/05/27)
6.手塚プロ 超人¢ァつかず創作

 傑作を生み出す秘けつについて、手塚治虫はインタビューでこう答えている。

 「アイデアはブラブラしていると出ないけど、寝ると出てくる」

 しかし、専属マネジャーを七年間務めた手塚プロ出版局長の古徳稔(50)は反論する。「先生は眠らない人でした」

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 四十代後半、仕事場の中心は「虫プロ」から東京・高田馬場の「手塚プロ」に移った。週平均四本の連載に加え、一話読み切りも次々と発表。虫プロ倒産で多大な負債を抱え、アニメから遠ざかるなど「冬の時代」とも言われた時期。が、創作に全精力を注ぎ込んだ当時の働きぶりは、どの手塚キャラクターより“超人的”だった。

 少年漫画はミュージカル、歴史物はクラシック―。主(あるじ)の部屋にはいつも、音楽が大音量で流れていた。担当編集者らは別室に泊まり込み、原稿の完成をじっと「待つ」ことが仕事。事務連絡は内線電話で済ませ、食事を差し入れるマネジャーでも入り口までしか立ち入れない。

 数本の作品が同時進行し、エッセーなどは移動の車中で仕上げた。編集者はソファで寝たが、手塚は断続的に短い仮眠を取るのみ。「週四日程度しか泊まらない編集者がうらやましかった」という古徳は、過労と睡眠不足で何度か気を失った。

 過密スケジュールに追われながらも、気に入った仕事があれば、なおも追加しようとした手塚。アイデアがあふれ出る「超人」は息をつこうとしなかった。(敬称略)

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