(掲載日:2002/05/28)
7.半蔵門病院 命の限り握ったペン

 一九八八年三月、腹部に痛みを感じた手塚治虫は、東京・麹町の半蔵門病院で一回目の手術を受けた。病名は「胃かいよう」だった。

 その後も、腹膜炎や慢性肝臓炎などを相次いで発病。体のあちこちが悲鳴を上げていた。十二月に再度、手術した。

 「病気に取りつかれた一年でした。来年は僕にとって福の年のような気がする」

 願いは届かなかった。彼はすでに胃がんにむしばまれていた。

◇       ◇       ◇

 「本人には言わないでください」

 病名を告げられた妻の悦子(70)は主治医に頼んだ。しかし、病魔はその手を緩めなかった。病院を抜け出して仕事を続ける夫を見かね、「何とか仕事をやめさせてほしい」と相談したとき、主治医は言った。「男には生きがいが必要。取り上げてはいけません」

 「最後の仕事場」は、都心に近い同病院二階の「200号室」。約十四平方メートルの一般個室の窓からは、皇居と立ち並ぶ樹木が見えた。医師でもあった手塚は、自らの病状をどこまで把握していたのだろうか。

 周囲の不安をよそに、病床でも漫画の執筆は続いた。精も根も尽きるまで、ペンを握った。

 死の直前、もうろうとする意識の中で、何度もベッドから起き上がろうとした手塚は「仕事をさせてくれ」と訴えた。悦子が聞いた最後の言葉だった。

 八九年二月九日。「神様」は静かに、すべての創作活動を終えた。(敬称略)

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