(掲載日:2002/05/29)
インタビュー 手塚悦子さん 伝わった夫のやさしさ

 超人的な創作活動で子どもたちに夢を与え続けた手塚治虫。家庭の中で見せる「素顔」は、どんなものだったのか。三十年間の結婚生活を妻、悦子さん(70)に振り返ってもらった。

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 富士五湖への新婚旅行から東京へ戻ると、さっそく自宅前に多くの編集者が待っていて、びっくりしました。二人で甘い余韻に浸る間もなく、手塚は机へ…。「漫画家の妻」となったことを実感し、すさまじい結婚生活が幕を開けた瞬間でもありました。

 手塚と過ごした三十年間。そのうち半分が、自宅と仕事場が一体のような生活でした。なかなか仕事部屋から出ない夫とは顔を合わせることがあまりなく、まさに「声はすれども、姿は見えず」。

 体調が心配でも、どんなふうに寝起きしているのか分からない。ひと段落ついて、「ああ、終わった」と言いながら部屋から出てくると、私もほっとしました。

 でも、三人の子どもたちは別でした。特に長男の真(まこと)は仕事場で古い原稿に絵を描いたり、父親に話しかけたり…。ある時、まだ幼い真が仕事部屋から出ようとせず、困った夫が私に言うんです。「マコを出してくれ」

 「子どもは一番のお得意さまだから、とてもしかれない」

 本気でそう話す夫の代わりに、私がいつも“父親役”でした。

 それでもクリスマスや夏休みには、私たちとの食事や旅行を計画するのが好きでした。短い家族との時間を大切に思うやさしさが伝わりました。慌ただしい日々も、寂しいと感じなかったのは、そのせいでしょうか。

 生前、「筆を止めると忘れられる」と言うのが口癖だった夫。私も心配しましたが、幸い十三回忌を迎えても会社(手塚プロ)は続いているし、記念館(宝塚市)にもたくさんの子どもたちが来てくれています。

 手塚のことを、そして作品を多くの人が覚えてくれている。私にとって、これほどうれしいことはありません。
=おわり=

 この連載は、記事を松本創、小森準平、大原篤也、宮本万里子、田中真治、写真を佐藤隆英が担当しました。
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