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(掲載日:2002/08/15)
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「火の鳥を手に入れることで権力を握り、他者の批判を許さない『絶対的存在』になろうとする人間。その愚かさを手塚治虫は指摘している」 極楽寺(大阪市西成区)の副住職、寺本知正(38)の感想だ。寺本は、宗教を学ぶ学生らと「マンガと宗教」を語る研究会を主宰。「火の鳥」も取り上げた。 シリーズ最後の作品「太陽編」で、手塚は二つの宗教戦争を描いた。一方は七世紀。朝廷と結び付き勢力を伸ばす仏教と、古来土地に根付く産土(うぶすな)神信仰との衝突。そして二十一世紀には、火の鳥をあがめる「光教」と抵抗する人々の戦いが起こる。どちらもいったんは収束するが、物語はまた新たな戦いの火種を予感させて終わる。 「新旧の宗教や文化の葛藤(かっとう)。そこからまた新しい世界が生まれる。その繰り返しなんだということを描きたかった」と、手塚は語っている。 「宗教の枠組みは結局、人間が作ったもの。一つを絶対視したり、政治の道具にすれば必ず衝突が起きる。そのことへの警鐘と読める」と寺本。 昨年の米中枢同時テロ。混迷を深めるパレスチナ。警鐘は、今も現実味を失っていない。 ◇ ◇ ◇ 「私にはただ一つ、断じて翻せない主義がある。それは、戦争はごめんだということだ」 作品で「戦争」を語るとき、手塚は、対立するどちらか一方の側に立つことはなかった。人類や生命といった、より大きな視点から、争いの悲惨さや不毛さを説こうとした。 それは、過ちを繰り返す人間たちをじっと見つめながら、何とか解決してほしいと願う火の鳥の姿にも重なる。 二十一世紀に託された手塚の願い。糸口は「対話」にある、と寺本は考える。「テロや戦争で混とんとする時代だからこそ、他者を理解し、共存しようという姿勢が重要なのです」(敬称略)
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