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(掲載日:2002/12/24)
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小学生のときから漫画家を目指していた僕が唯一自慢できるのは、手塚さんにペンネームをつけてもらったこと。大学の卒論で「鉄腕アトム」を取り上げて、インタビューのために東京のスタジオに行ったときのことでした。 そのころ、少年ジャンプが主催した「手塚賞」に、僕の作品が二回連続で最終候補に残った。手塚さんはそれを覚えてくれていたんです。 僕の名前が「長(おさ)武(む)」だったので「『長(おさ)たけし』はどうや」と。その後、「長」をひらがなにしたけど、今も使っています。 二時間ほどのインタビューで、僕は、偉そうに「先生の最近の作品はワンパターンですね。アトムの『ロボット法』は、米国のSF作家の作品をまねたのではないですか」なんて聞いたんです。そしたら、手塚さんは興奮して机をたたき、「違う。僕が考えたんだ」と叫んだ。あまりの興奮ぶりに、「やっぱりまねしたんだ」と。僕も若くてごう慢だったなあ。 印象的な作品は「鉄腕アトム」と「勇者ダン」。「勇者―」はアイヌ民族の少年がトラのダンとともに宝を探す冒険物語。最後は少年が自分を助けようとして傷ついたダンを安楽死させるんですが、主人公が殺されるという展開には、子ども心に驚きました。 日本の児童文学や少年漫画が避けてきた悲劇的結末は、戦後初めて、手塚さんが持ち込んだものでしょう。現実の世界は残酷なんだから、そういうのがあっていい。今、読んでもジーンときますね。 デビュー寸前までいって僕が漫画家をあきらめたのは、自分の漫画観が雑誌社の要求とずれてしまったから。作品を自己表現と考えてオリジナリティーにこだわったけど、人はそんなに新しいものをつくれるわけじゃない。 手塚さんがすごいのは、小説や歌劇のエッセンスを吸収して漫画の世界に移し替えたこと。その組み合わせや味付けにこそ創作者のオリジナリティーがあることを、最初から見抜いてたんですね。
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